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何事も無き

何事もありません。

平和です。

平和島です。

世界陸上も飽きました。

漫画を処理しています。

思った以上に漫画がたまっていました。

まだ読みきれてません。

それにしても、以外に掘り出し物が多い。

この漫画、こんなに面白かったのかと思うような本ばかりです。

でも、漫☆画太郎はあんまりいらない。

絶妙に微妙すぎるのでいらない。

イヤ、もう逆にアリかな?と思うこともあるけど。

でも全然いらない。

汚い。

絵がじゃない。

ネタが汚い。

卑怯とかそういう意味じゃない。

汚物。

なので、まともに漫画を買って久々に後悔したのでした。





褒めても何もでないらしいですよ。

大豆だから。
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すばやいガタ ルカナル・タカ

イヤホンにガタがきました。

左がやばいです。

音量上げると、

『プチプチプチプチ』

っていいます。

ウザ過ぎます。

音を下げると大丈夫です。

しかし、全然音楽が聞こえません。

あーぁ、結構気に入ってたんだけどなー。

でもコンビニで980円で買うようなイヤホンはやっぱり耐久性とかその辺が大したことが無さ過ぎる。

音はまぁ、普通?でも、すげぇ音漏れしてたのは覚えている。

電車の中じゃ、ちょっと気を使う。

ソレこそアレ系な音楽を聴いているときなんか音量をちょっと下げるくらいだし。

この際アレだな、給料入ったらヨドバシカメラにいくしかないのか。

壊れたイヤホンったって耳に引っ掛けるタイプのだったんだけど、ソレも耳の付け根あたりが痛くなってあんまり感度はよくなかったかも。

耳につけるタイプのイヤホンもまず、耳に合わない。

すぐにずれる。

で、ずっとつけてると痛いし。

もっと地球っていうか、僕の耳に優しいイヤホンはないものだろうか。

地球とかどうでもいいから、僕に優しいものがほしい。

すっげぇ自己中。

誰かが何かを語る

ちなみに僕は『語られる』なんて行為がちょっと苦手。

『愛を語る』『人生を語る』『人間を語る』なんて、何年生きてるのか知らないけど、『正しいかどうか分からないけど』みたいな前置きをされるけど、ソレらを語る人間は何故か

『語る自分が一番正しい』

みたいな雰囲気がバリバリ出て嫌いだ。

もちろんそうじゃない人間もいる。

ってかソレらを語る人間は大半がそうだ。

語ることができるくらい、様々な経験を積んだってことだから。

だけど、どう良心的に聞いても『未熟者』な人間が語るソレは本当に不愉快で。

ソレが年下だったら

『20年も生きていない奴が背伸びをすんじゃないのよー!』

と思うし、ソレが年上だったら

『そんだけ生きてきてその程度のことしか学べていないんですかー!?』

と思う。

勉強の話じゃない、そんなもんよりもっと大事なもんの話。

人に教えるために語るのはいい。

そんな人の語る言葉は聞いてて心地良い。

ただ、語りたいから語るのはイヤ。

そんな人の語る言葉は、色んなところが穴あきで、大事なことを全然言っていなくて、何喋っているのか分からなくて、ソレこそ自分の歩んできた人生が絶対正しいものだと思っている。

イラッとくるのだ。

そんな人間に対して僕はよく、

『御高説どうも』

と言っている。

ソレだけだ。

僕は全然語らない。

当たり障りの無いことしか語らない。

っていうか、語るタイミングも無い。

語る程の『もの』も僕は持っていない。

なので、僕は誰かが語るととても『聞き耳』をたてるのだ。

沢山の話を聞いておきたいのだ。

ソレは勉強よりもよっぽど『勉強』になると思っているから。

だから、この20年間、沢山の話を聞いてきたような気がする。

決まりきったことじゃない、自分が体験しないと話すことの出来ないような、『話』。

有意義。





だが、全然内容覚えてない。

でもそんなのカンケーねえぇぇえぇぇぇぇえ!!

ルーツ  ではない妄想の切れ端

子供の頃に変な性癖があった。

それが性癖と呼べるかどうか分からないけど、感覚としては性癖みたいなもん。

僕は子供の頃、大いに泣き虫だった。

どれだけ泣き虫だったかってーと、今はもうあくび用の涙くらいしか残ってなくて、子供の頃以外で泣いたことがあるのは高校3年の頃、進路指導と大喧嘩したときくらいか。

まぁアレも学校じゃなくて頑張って踏ん張って家で泣いたけど、初めて『家で気が済むまで泣いてやる』と思った。

まぁそんだけ、僕は泣き虫だったわけだ。

そんな子供の頃の僕は手なんか出さなくても口だけで泣かせることができた。

叩かれるよりも、みんなと孤立することがあの頃な何より恐かった気がする。

だから叩かれても何も出来なかったし、口答えなんかすればそれこそ孤立していただろうし。

でも、泣くことで結構解決できた。

イヤ、実際解決なんかしてなくて、僕が泣けば相手が一方的に悪くなるわけで、子供の頃の世界ってそんなもんだから泣いて謝ってもらって落着と相成りましょうという流れが完全に出来上がっている、誰が作ったわけでもなく。

子供の自分すら『自分は泣き虫だ』と自覚していたくらいだから、自分は弱者だと分かっていたわけだ。

で、まぁ変な性癖の話。

他人の泣いてる声を聞くと、安心するっていうか、ドキドキするっていうか。

多分、子供の頃の僕のイメージといえば


『泣いている⇒弱者』


のイメージが強かった。自分がそうだったように。

だから、仲間が見つかったみたいでなんだか安心したわけだ。

で、泣いている人なんて大概小さい子なわけで。

つまり、僕のロリコンのルーツは『子供の頃にあった弱者との仲間意識』的なものが、今になってはバカみたいな性癖になっちゃったわけだ。

しかし、今泣き声を聞いてもウザッたいとしか思えない。

耳障りとしか思えない。

それこそ、僕が弱者じゃなくなったという証なのかもしれないけど、ただただ耳を塞いでいるだけかもしれないし。

そうそう、そういうところを紐解いていくと結構自分の好みとか趣味とかと関係する部分があったりなかったり。

僕が『いいな』と思う女性は別に子供ばっかりなわけじゃなくて、イヤむしろそれが当たり前っていうかなんていうか。

結構、大人の女性にだって魅力を感じます。

しかしどっちかってーと、それは『憧れ』に近いものがありまして。

つまるところ、その憧れの意味は『強者』だったりするわけで。

僕は、『強きものに憧れ、弱きものが大好き』な、アメリカのスーパーマンに憧れる少年みたいなもんです。








イヤ、少年なんて歳じゃないんだけど。

The・フェイント

「お弁当温めますか?」

「温めます、家で」

『ファッション』と『だらしない』の境界線

カップルがコンビニに来た。

服装はいたって普通。

ただ、女の子の方は七分丈のパンツっていうか、もう少し下げたらローライズになりそうな、若干危なげな感じ。

そんな女の子は、歩くたびにズボンがじょじょにずれていき、どんどんTが見えてしまうという有り得ない現象が。

もう尻が見えています。

それに気づいてまたズボンをあげるけど、結局またずれて尻があらわに。

もはやアレはファッションではなく、ただ単に『だらしない』だけなのだと思った次第です。

だらしない人は、どう控えめに見ても馬鹿にしか見えない。

気を使ってくれてるのか、ただの猫舌か、それともヌルーイものが好きなのか。

お弁当を温めますか?と聞くと極たまに

『軽く暖めてください』

とか、

『ちょっとでええよ』

などと言われます。












お前の軽くの基準なんか知らねぇよ











とは言えず、結局何秒かマイナスしてレンジでチン。

コミニュケーションの手段の一つのはずが、曖昧過ぎて結局悩んでしまうなんて…。

本末転倒ってなこのことか?

別にどうでもいいこと

『やればできる子』ってーのはようは隠れハイスペックってことか。

つまり、『能ある鷹は爪を隠す』ってやつか。

なんか、格好いいじゃないか。










『メガネを外したら、その子はとても美人でした』みたいなのあるじゃないですか。

メガネを外して美人な子はメガネをしてても美人なはずなんだけど、どうしてメガネをつけていると美人と気づかないのか。

答えは、アレ。

『鼻メガネ』










『気になるオセロ』とかでやってるじゃないですか。

『見返り美人』ってやつでしたっけ。

振り返ったら、端整な顔立ちの女性でしたってやつ。

アレ、日常でもあるものかなと思ったのだけど、全ッ然。

そもそも、正面が美人な人は後姿だって美人なはずなんですよ。

美人は見えるところ全てに気を使います。

まぁそんなことはおいといて、つまり見返り美人って存在はするけど、そもそも美人にしか適用されないのが悲しいところ。

正面はごサイクだけど(ごっさブサイクの略)、後姿は美人って人もそこそこいますからね。

つまり、アレだ。

後姿だけで人は判断できないってことだ。










パソコン買った。

別にどうでもいいよね。
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